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「やる気」という言葉よりも、

「脳の構造の理解+ハートとつなぐ」

 

 

日本では、社員に関して、「やる気」という言葉をよく聞く。

人事の人だけじゃなく、企業のトップから、社会の議論で「若者はやる気ないの?」のようことまで聞こえてくる。

しかし、私はその話を聞くと、何かが変と感じる。

例えば、やる気の源泉についての話しをあまり聞かない。

 

何か、皆は人間をあまり理解していないようだ。

「やる気」という言葉があまり適切じゃないのかもしれない。

 

 

例えば、結婚することや、ファミリーを作ることは「やる気」で行うものではない。

チャレンジのためにやることでもない。

より深い理由(原動力)で行動することだ。

 

つまり、人間の動機、コミットメント、パフォーマンスの原動力(driver)はより深いところにある。

 

 

例えば、半導体LSI設計者の仕事の原動力の例:

Aさん:創造することが好き。

Bさん:新しいことを創造することが好き。

Cさん:知的なチャレンジのため、やっている。

Dさん:技術の創造よりも、技術自体が好き。

Eさん:LSIよりも、用途を実現したい。

 

つまり、働きたい理由が特に「やる気」というものではない。より深い原動力の理解が必要だ。

 

先ず、上記の特徴は人間の脳の構造によって、生じる。

 

 

結局、動機を与えることよりも、社員の内部からの動機を解放しなければならない。

先ず、社員の脳や、原動力を理解しなければならない。

育成しながら、その原動力を引き出さなければならない。

 

企業のマネージャーが「社員はあまりやる気ないね」と文句をよく言うかもしれないが、多くの場合、マネージャーが動機の障壁になっている。

世界中、多くの場合、マネージャーや組織が動機を破壊している。

 

 

社員からパフォーマンスやエクセレンスを求めているかもしれないが、それは特に「高潔な大志」、「大志を抱け」、「野心的」、「ambition」のようなものではない。

通常、相対的に小さなものだ。

自分の脳にフィットすることだけをやると、それはエクセレンスとなる(誰もコピーできないから)。

 

その上、脳の構造にフィットすることをやると、心理学的に幸せが発生する。

 

しかし、本当に深い原動力は脳の構造からではなく、

ある状況や事象と人間のハート(感情)とのつながりから発生する。

これこそが人間の本当にパワフルな原動力であある。

 

脳の構造をフォローすれば、パフォーマンスが自然に出てくるかもしれないが、

ハートのつながりがある場合、「どうしても、やらなくてはいけない」といった気持ちになる。

 

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間単に、

原動力を取り出す=「脳の構造の理解+ハートとつなぐ」

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私の例を見れば、子供の頃から私の脳は物事のずれや課題を自動的に見つけ出している。

それは私の脳の構造によるもの。私のコンピテンスというものかな。

しかし、そのことだけでが深い動機とはにならない。

しかし、たまに取り出した課題が私のハートに大きな影響を及ぼす。

例えば、日本のメーカーの経営課題を予測した。

そして、その悲惨な状況が私のハートに大きなインパクトを与えた。

それは、私が日本に来るほどの深い動機となった。

今朝、ベッドから起きた動機だ。

 

 

皆は「やる気」という言葉を大雑把に使っているが、

その裏の原動力を理解したうえで、

引き出さなければならない。

 

 

結局、各人が違うので、

脳を使う舞台として、ハートをつなぐパイプとして、

会社が共通ストーリーを提供しなければならない。

そして、現場のマネージャーが個人の脳と原動力を理解して、そのストーリーの中で使わなければならない。

 

つまり、皆が同じビジョンを持っていても、そのビジョンの実現に向けた各人の原動力と動機は違う。

 

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